潜竜院から岩櫃山へ向かい、山道をてくてく歩いて行くと現れる岩櫃城の西側の守る為に造られた城です。
城の規模は非常に小さいですが、山城址として結構見所があります。城の規模からして常駐の兵士は5人から10数人程度で、城の下を草津街道が通っていた事から監視する役割をもっていたか岩櫃城への狼煙の中継点であったのではないかと考えられているようです。
真田昌幸が、武田勝頼を吾妻の地に迎え入れる為に潜竜院を作りましたが、その時に同時に築城したのではないかという説もあるようです。
この城址は、1992年に吾妻町教育委員会の測量時に発見されていますので、割と最近なんですよね。
写真館
縄張り図 |
訪問日 2013.05.06
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