2013年6月16日日曜日

岩櫃城



6月の初めより1週間の群馬県出張でした。群馬県出張なんの面白みもないなどと思っていたら、なんと・・・私に割り振られた担当地域は、沼田・吾妻・渋川方面!

神様はいるのです!
朝が早い分、仕事終わりも早く、ノルマさせこなしてしまえば自由時間。
城攻めいつ行くの?今でしょう!!!!

さて、1番最初に私が目指したのが真田の城の一つ、あの有名な戦国末期のヒーロー真田幸村(信繁)も幼少の頃にこの城で過ごしたという岩櫃城です。

岩櫃城について(超ざっくり!)
岩櫃山中腹東面にあるこの城の築城年は定かではないそうですが、鎌倉時代初期に吾妻太郎助亮(すけふさ)により築城されたと伝えられていますが、築城者も定かではありません。
吾妻氏の後に、この地を支配していた斎藤氏が築城者という説もありますが、斎藤氏の根拠地としたのは岩櫃城西方3kmにある岩下城だとされる。等々言われており、説の域を出ませんし、実は真田氏が築城したのだという説まで存在します。
 
戦国期には斎藤氏が支配していたこの地も、上州進出を目指した武田信玄の家臣・真田幸隆に攻略され、この地は真田氏に支配化になります。

城郭規模は上州最大、武田氏支配時代には、甲斐の岩殿城、駿河の久能城と並び武田の三名城と称されていた程の城でした。

そんな名城も徳川の天下になった1615年(慶長20年)、家康の発したの一国一城令により姿を消すことになります。

入口から本丸までは登りで、以後降り、そして平坦な道と城攻め範囲も広くなかなか大変ですが見ごたえタップリです。入口から中丸までが兎に角虫が凄いんですよ・・・この地に入るんじゃねー!と言わんばかりに顔目掛けて突撃してきます。

城址入口休憩小屋
岩櫃城縄張り図
歴代当主年表

入口付近




中城付近

二の丸付近

本丸付近(大規模な堅堀が幾つか見られます。)



殿邸(海野長門守の屋敷跡)

西の木戸(西側の城下町の郭内への出入口などの軍事的要素の強い門)








   

橋台遺構(ここに進んできた敵を、三の曲輪から鉄砲・弓矢で攻撃できる場所)

東の木戸(東側の城下町の郭内への出入口などの軍事的要素の強い門)

天狗丸


岩櫃神社(天狗丸にある斎藤基広公を奉った神社だともいわれている。)


兎に角素晴らし城址でしたので、大変満足いたしましたが、私の城攻めは続くのです。
この後、岩櫃山にあるもう二つの城址に行き大変後悔するのです。


超ざっくりと城はここです!








訪問日 2013.05.06


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