2013年6月21日金曜日

金窪城



神流川古戦場の割と近くにある城址です。現在、城址のほとんどが畑・住宅地・雑木林に変わってしまってますが、案内番によると3ヶ所ほど土塁が残っているとのことです。(案内番も新旧二つ立っており、新の立て看板には3ヶ所とは書かれておらず、幾つかと書かれています。)


金窪城についてざっくりと!

別名 たや城(←漢字変換できず・・・)とも言われる。

平安末期の治承年間(1177~81)に武蔵七党の一党である丹党からでた加治家治の築城と言われています。元弘年間(1331~34)には新田義貞が改修して、家臣の畑時能に守らせたそうです。

室町中期の寛正年間(1460~66)には斎藤実盛の末裔を称する斎藤盛光が居城した。盛光の曾孫にあたる定利の時、天正10年6月(1582年)本能寺の変が起こり、織田信長が死亡すると、織田氏と敵対していた北条氏は上州に大群を率いて進行し、織田氏重臣・滝川一益との間で神流川の合戦が起こり、北条側に属していた斎藤氏は一族ことごとく討ち死にし、城も兵火にかかり焼失した。

その後、徳川家康の関東入国にともない、この地は川窪氏の所領となり陣屋が置かれたというが、元禄1年(1698年)丹波への転封にとなり、陣屋も廃されたという。

写真館




ざっくりとここら辺!




訪問日 2013.06.21

0 件のコメント:

コメントを投稿