2013年6月27日木曜日

白井城



場所 群馬県渋川市白井

15世紀中頃に関東管領上杉憲実の新任厚かった長尾景仲の築城と言われる。
景仲の子、景信が死去すると、管領家家宰職の相続をめぐり家督争いが勃発長すると(尾景春の乱白井城は山内上杉の重要拠点となった。

その後、沼田と同じく、越後上杉・甲斐武田・相模北条・滝川(織田重臣)の争いに巻き込まれていき、最終的には、天正18年(1590年)の豊臣秀吉の小田原攻めの際に前田利家によって攻められ開城した。

徳川家康の関東移封に従い、本多広孝・康重が城主となり、この時代に現在の白井城の形に整備したと考えられている。以後、戸田康長、井伊直孝、西尾忠永、本多紀貞と城主を代えるが寛永元年(1624年)紀貞の病死により廃城となった。

渋川伊香保ICを降りて17号線を北上すると、案内板がありますので言うとおりに進むと城跡は現れます。行ってビックリするほど程、よく遺構が残されています。是非、行って頂きたい城址であります。

写真館 


『枡形門』  
太田道灌が指導した石垣と言われている。(伝説)


『本丸跡』  
本丸は、周囲を土塁に囲まれている(下画)土塁上から本丸を望む






『笹郭』
本丸の南側に築かれた郭で、更に奥に南郭、新郭が築かれているが現在は宅地化している。


『三日月堀』
本丸と二の丸を隔てている堀。


『帯郭』
本丸より東側に設けられている。


『二の丸』
現在は畑となっている。



『三の丸』
二の丸と同じく畑



『北郭と櫓台』
北郭にあったとされる櫓台は、現在、城山不動尊が築かれている。



『金比羅郭』
地図上では、周囲が金比羅廓跡と思われる



『南郭だろうと思われる場所にある案内板』



城址は、ざっくりここら辺!




訪問日 2013.06.07

0 件のコメント:

コメントを投稿