2013年1月26日土曜日

茂木城



茂木は、桔梗山に築かれていることもあり、別名桔梗城とも呼ばれています。まったくもって、ノーマークのお城でしたが、行ってびっくり!意外と大きな城跡で、整備も行き届いていました。

茂木城について
鎌倉幕府の有力御家人・八田知家は、奥州藤原征伐の功績により、源頼朝から下野茂木郡を賜り、三男・知基をしてこれを守らせたのが1192年(建久3年)のこと。
知基は、桔梗山に城を築いて茂木氏を名乗った。
以後、400年16代に渡り茂木氏の居城となり、1610年(慶長15年)細川興元によって廃城になるまで続いた。

茂木氏の時代には、2度ほど落城も経験しているお城なんだとか・・・



『本丸』
本丸跡は、公園になっています。本丸には、武具倉、合図櫓、望櫓、などもあったようです。


『千人溜』『鏡ヶ池』『溜池』



左が溜池、右が鏡ヶ池
鏡ヶ池は、戦い利あらず、武士達が籠城の折には池の水は生命水となった。
またある時、城主に美しい姫君が誕生。ところが、その姫が流行病に罹り、酷い痣が残ってしまう。殿はそれを哀れみ、城内の鏡を全て処分させる。しかし、後日姫がこの池の水面に自分の顔を見て驚く。そして、悲嘆のあまり池に身を投げてしまう。
それから人々は、この池を「鏡が池」と言うようになった。(説明板より)



『二の丸』『三の丸』
左画像、二の丸跡、右画像、三の丸跡です。


『姫の望楼』
毎年夏になると、茂木の城下では祇園祭りが行われます。その祭りの笛の音が聞こえる頃になると、二本松の在る出丸には近づいてはいけないと言われています。
それは、病弱のため皆と共に秋田に移ることが出来なかった茂木家の姫が、蛇の姿に身を変えて、二本松から城下の祭りの様子を見ているからだと言われています。
伝説とはいえ、急な「所がえ」でしかも遠く寒い秋田の地について行けなかった女子供がこの地に残り、新しく茂木に来た人たちの楽しげな祭りをそっと見ている情景は、手に取るように良く分かります。
そして、それをそっとしてあげたいと言う人たちの気持ちが、この伝説を生んだのでしょう。 
                                                  (説明板より)


『姫の望楼』から茂町を眺める。



『出丸』『馬場』



★だいたいここら辺★
栃木県芳賀郡茂木町


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★おまけ★
後から知ったので行けてないのですが、茂木町役場近隣は『茂木陣屋』跡があります。陣屋跡の石碑が建っているようです。茂木町陣屋は、細川忠興の弟、興元が茂木氏の後にこの地に入り、茂木城を廃城にして、城下に陣屋を構えたのが始まりだそうです。


訪問日 2013.01.25


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