2013年1月22日火曜日

松井田城



10年前に1回、昨年1回で、今回で3回目の訪問ですが、迷いました・・・
前2回共に、カメラを持って行かなかったので、改めて行って参りましたよ。

さて、松井田城について
永禄初年(1560)頃、武田信玄の上野国侵攻に備えて安中忠政が安中城を 築城して嫡子忠成を入れ、忠政自身は松井田城を改修して居城とした。
永禄4年、信玄は安中・松井田の中間に位置する八幡平陣城を築き、同7年、安中・松井 田両城は落城した。
天正10年(1582)3月、武田氏滅亡後は北条氏が一時松井田城を占領したが、すぐに織田勢が碓氷峠を越えて上野に侵出し、信長の部 将・滝川一益が厩橋城を拠点に上野を支配した。しかし、本能寺の変で信長が横死すると、一益は本領の伊勢へ敗走し、松井田城には北条軍が占拠した。上野を 支配した北条氏は碓氷峠を押える要衝の松井田城に大道寺政繁を置き、城を大改修拡張をして現在見られるような姿となった。
天正17年11月、豊臣秀吉の小 田原征伐の際、前田利家、上杉景勝、真田昌幸らに攻められ松井田城は落城、廃城となった

では、行ってみましょうか!?
この日は、数日前に降った雪が残っており、私の車はスタッドレスではないので、坂道(山道)を登った所にある駐車場までたどり着けず。年配の方も、駐車場までチャレンジしていましたがスリップして登れず、諦めて帰って行きました。


『堀切』
私が向かったルートで、最初に出会った看板『堀切』です。下状に伸びる尾根や峰つずきを断ち切る目的で、鉈で切ったように掘りきった空堀のこと。堀はV字型、山城に多く見られ、敵の進攻を阻止するための防衛戦。



『横堀』
横方向に掘られた空堀のこと。多くは、大手筋や本丸近くに構築される。自然累積土が余りに多いので、当時の巾は不明。


さぁ、ガンガン山道を登ります。


『大手門跡』
城の正面に設けられた門で、一城の正門で、本来は追手門という。追手門とは、篭城の時に正面から攻めてくる敵を搦め手から出撃し、正面位に追い詰めて戦うように造られている。


門を抜けて、侵攻いたしますと、本丸・二の丸を示す立て看板がありましたので、まぁ・・・二の丸方面を先ず落とします!!

『馬出』・『二の丸』
本丸・二の丸、出入り口手前に設けられた小区域で、 一旦ここに出た人馬が揃って出撃したので馬出といわれる。こちらは、二の丸に設けられた馬出




『本丸』
城で一番重要なところです。ひっそりと、神社なのか?なにか建てられていますし、その奥には櫓台跡があり、松井田城下を一望できます。



その他にも、安中郭やら水の手やら、紹介できないほど見る所はありますので、実際に行って確かめて頂きたい城跡です。この城で半日潰します。

私は、松井田城=大道寺政繁なので、ご紹介しておきます。
『花の慶次』と『信長の野望バージョン♪どんな方は、御自分でお調べください。(興味持たれた人)




★おまけ★
松井田攻めの後、安中迄戻り昼食にしました。『ニュー・アルプス』さんのカツカレー800円なり♪
お店の佇まいがたまりません。店内もレトロです。メニューにドライ・スパゲティ450円も発見!次回の城攻めにチャレンジしたいと思います。普通のカレー450ですし、全体的に価格安いです。 



★だいたいここら辺★
群馬県安中市松井田



訪問日 2013.01.19

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