2018年1月7日日曜日

壬生城





場所 栃木県下都賀郡壬生町本丸一丁目

築城年数 1462年

築城者 壬生胤業

別名 馬蹄城

2017年2月に『東京新宿発 城廻紀行 MARO参上』の管理人さんであるmaro君と城廻した際に訪問しましたが、当時すっかりサイト更新をしていなかったので、今一度城攻めしてきました。

壬生城は、室町時代に京都の公家である壬生胤業がこの地に館を建て移り住み、二代・綱重の時代の文明年間(1469~1486年)の間に現在の地に築城したと言われています。
※壬生氏は宇都宮氏の分家という説もあり、こちらが有力であるらしい。

宇都宮氏の家臣として台頭しするも、戦国期に独立化、後北条氏に与し宇都宮氏と戦っていますが、天正18年(1590年)の豊臣秀吉による小田原征伐により、後北条氏に与していた壬生氏は5代で滅亡、領地は徳川家康の次男・結城秀康に引き継がれ一時廃城となりますが、関が原の戦い後の慶長6年(1601年)に日根野吉明が1万石で入城。その後、110年間は阿部氏、三浦氏、松平氏、加藤氏とたびたび城主が変わりますが、正徳2年(1712年)に鳥居忠英が入封。明治維新まで7代にわたり鳥居氏が城主を務めました。

江戸時代の文献によれば城は、本丸・二の丸・三の丸を同心円に配し、東郭(東側)・下台惣郭(南側)・正念時寺郭(北側)の6つの郭からなり、土塁と堀で囲まれていたようです。天守や櫓はなかったそうですが、東郭に櫓台を築く願いは出されていて、櫓台跡が現在も残されていますが、検察された記録、絵図が無い為、実際に建設までは至らなかったようです。

本丸には御殿が建設され徳川将軍家の日光参拝時の宿舎として利用されていました。

現在は城址公園となり、図書館・文化会館・歴史資料館などが併設されている町民の憩いの場となっています。歴史資料館にある壬生城模型は立派で感激すること間違いなし!(笑)
※館内写真撮影不可の為、掲載できませんが検索するとヒットしますのでご確認あれ!


写真館




改修前の堀跡




吾妻古墳の石室 天井石

櫓台跡 規模は縮小され、2m低くなっている。

東郭跡にある櫓台説明版

 MAP




訪問日 2018.01.03

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