場所 茨城県筑西市中舘
下館城址から294号線を約2km北上すると右手に現れる城址で、南朝方関東六城の一つであり、仙台伊達氏発祥地でもあります。
平将門追討の際に藤原秀郷が上館、中館、下館の三館を築いたとされる(定かではない。)三館のうちの中館を伊佐氏が改修したものが伊佐城だという説がある。また、築城者は伊達朝宗だとする説もあるが、正確には築城者は不明である。
記録に伊佐城の名が登場するのは南北朝時代で、以前の記録は無いようである。南朝方の城主の伊佐氏が伊達行朝を城に迎えて、北畠親房の小田城や関氏の関城、下妻氏の大宝城と共に、北朝方、足利尊氏の家臣高師冬軍の攻撃を長期に渡り防いだが、興国4年(1434年)に落城。その後に廃城となってしまった。
写真館
施無畏山延命院観音寺
境内と周囲域が城域とされるが、ほぼ遺構は残っていない。
伊達宮内大輔行朝公塔
伊佐城陥落後、行朝が北朝に降った後に観音寺境内に建立されたそうである。碑面の裏・表いずれにも墓と刻まれていない為、供養塔であろうと考えられている。
下館藩主 石川総管墓所
下館藩9代藩主の墓であるが、かなり荒れており、震災の影響なのだろうか?墓石が倒壊している。
その他
MAP
訪問日 2013.07.03
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