茨城県結城市に仕事で行きましたので、ちょっと足を伸ばして『結城城跡』に行ってきました。
現在は、中央に噴水を配した城跡公園になっています。
さて、結城城の歴史を軽く。
小山政光の四男・朝光を初代結城家の当主としたのが始まりで、以後、結城氏の支配が18代続きます。17代目の当主晴朝の時に、結城家の安泰を図るべく、当時の天下人・豊臣秀吉の養子になっていた徳川家康の次男・秀康を結城家18代目の当主として迎え入れますが、関ヶ原の戦い後に秀康は越前福井に国替えになり、この城は廃城となります。その後、1700年に水野勝長が入部して再興され明治維新に至るまで水野家の居城となったのです。
ちなみに、結城氏は小藩なれど名門です。
公園の西隣りには、水野家の祖・水野勝成を奉った総敏神社がりますが、そちらが本丸になるそうです。残念ながら、後で知ったことなので写真撮影しておらず・・・トホホ
「結城合戦タイムカプセル埋設記念碑」や与謝蕪村の石碑の建っています。しかし、「結城合戦タイムカプセル埋設記念碑」って何ぞや?
橋の所には空堀も残ってました。竹が凄くて見づらいのですが、竹を少しだけ伐採すれば、良好に空堀が見えるはずです。
しかし、この地に10万石の小藩当主として、家康の次男・秀康がいたんですね。まぁ、関ヶ原の合戦後に67万石の大封(越前福井)を得るわけですが。ちなみに、関ヶ原の合戦で一番加増されたのが秀康です。(徳川一門を含めた諸侯の中で唯一50万石を超える加封を受けている。)
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花の慶次より |
★おまけ★
結城市内に水野忠邦の墓があるのが意外でした。皆様の日本史の授業で勉強されたと思います。江戸の3改革の一つ『天保の改革』を行った方です。結城城跡とは、50号線を挟んで反対側になるんですけど、田んぼの中にポツンっとあります。今日は、仕事の都合上たどり着いたのが18時過ぎていたので、真っ暗になってしまったんでけど・・・確かにあるんです。ちなみに水野さんは、大人気時代劇『遠山の金さん』の主人公でもある遠山金四郎景元なども、登用してるのです。
明るい写真は、結城市のHPで見れます。こちら→水野越前守忠邦の墓
★だいたいここら辺★
茨城県結城市
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訪問日 203.01.08
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