場所 群馬県桐生市新里町山上297-1
築城年数 不明
築城者 山上高綱
花の慶次を読んだことがある方ならご存知かと思いますが山上氏秀こと山上道及(やまがみ・どうきゅう)が居たお城です。道及さん、漫画ばかりでなく、なんとなんとパチスロにも出演されてるんですね!
藤原秀郷(平将門を伐った人)の末裔とされる足利俊綱(藤原姓)の弟、高綱が山上を名乗りこの地に移り住んで築城したとされる。
室町時代には関東管領家山内上杉氏の重臣となり由良氏、桐生氏、園田氏と共に東上州四家として重要な役割を担っていたといいます。
弘治元年(1555年)には、北条氏康に攻められ城主であった山上道及を下野へ追いやり北条家の城としますが、以後、上杉謙信・武田勝頼の間で争奪戦が繰り広げられるようになり城主も目まぐるしく変わったようです。因みに桐生市のHPでは武田勝頼に攻められて廃城となったとありますが、天正18年(1590年)の豊臣秀吉による北条征伐で片桐且元らに攻められて落城し廃城となったと思われます。
写真館
<城址図と大ムカデと大蛇の戦い>
右画像:赤城山(群馬県)の神様が大ムカデとなり、男体山(栃木県)の神様が大蛇となり争ったというお話があります。そのモニュメントが三の丸付近にありました。ちなみに赤城山は遠方より見ると女の寝姿と表されますので、男と女の戦いでしょうか?(笑
実際には中禅寺湖はどちらの領土か?を争って戦ったわけです。
<三の丸>
新しい遊具が置いてあります。本丸付近に錆びた遊具がありますので、以前は本丸付近が公園となっていたのかもしれません。
二の丸付近
<本丸>
<井戸と物見櫓址>
三の丸先端にある井戸跡と林の方にあったとされる物見櫓跡。民家の辺りかな?
MAP
訪問日 2014年1月11日