場所 群馬県前橋市河原町
築城者 大胡氏
築城年数 天文年間(1532~1555)
現在の城跡の一部は大胡支所や学校に変わっていますが、素晴らしい枡形門、虎口、空堀り、土塁等の跡が良好な状態で残されていていますので感動すると思います。
大胡氏は藤原秀郷の子孫で、藤原足利氏(源氏足利氏とは別系統です。)の庶流にあたります。
バサリ言えば、足利尊氏なんかとは別系統ってことですね。剣聖で有名な上泉信綱なども一族にあたるといわれています。(信長の野望というゲームをプレイした方はご存知かと思いますが、めっさ強い人です。一人で百人くらい余裕で相手にできます。)
大胡城主であったとも書物に書かれているとか?
名曲を聴いていただいた所で、続きを・・・
戦国期に、上杉謙信の攻撃を受け落城した際には謙信の家臣である北条高弘(きたじょう・たかひろ)が城主になってる所も私敵に興味深いです。 高弘さんは前橋城の城主にもなっていた人で、息子に前橋城を譲って隠居する際にも、この城に入ったそうです。
天正18年(1890年)徳川家康が関東に入部すると、牧野氏が2万石で封じられ康成・忠成2代の居城となります。その後牧野氏が越後長峰へ5万石で転封になると、酒井氏の前橋藩領となり城代が置かれますが、寛政2年(1742年)酒井氏の姫路転封により廃城となるのです。
写真館
MAP
訪問日 2013.07.20