2014年1月20日月曜日

柄杓山城



場所  群馬県桐生市梅田町1丁目地内

築城者 桐生国綱
改修者 由良成繁

築城年数 1350年

藤原姓足利系佐野氏の一族桐生国綱によって、南北朝の初めに3年の年月を掛けて築城された実戦型の山城です。東に桐生川、南に渡良瀬川が流れ、西南の丸山と東南の浅間山に砦を構え、その間に新川を掘って要害堀とし、東西の山地には物見山その他の小さな砦を備えて万全の構えを示し、桐生実城と称されたといいます。

城主である桐生氏は助綱の頃まで繁栄したが、天正元年(1573)一族である佐野氏からの養子・親綱の時に、由良氏との抗争激化、桐生氏内部抗争による弱体化により築城以来約220年で太田金山城を本拠地とする由良成繁に滅ぼされてしまいます。

その後、由良成繁は嫡子・国繁に太田金山城を譲り、自分は柄杓山城に本拠地を移しますが、二代国繁の時に小田原の北条氏に味方して豊臣氏に敗れ、常陸国牛久に移された為廃城となります。


写真館


『三の丸跡』


『堀跡』


『二の丸跡』
三の丸もそうですが、コレが廓跡ですか?って感じに狭いで驚くのですが、多分
弓・鉄砲などの狙撃兵を数名配置する所なのだと思われます。


『本丸跡』
本丸跡は公園として整備されていました。桐生市を見下ろすことができ、景色が綺麗で、とても気持ちがいいので城攻め時にはこちらで休憩すると良いと思います。お弁当を食べるにはもってこいです!




MAP



訪問日 2013.11.16

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