2013年7月2日火曜日

雉岡城



場所 埼玉県本庄市児玉八幡山

別名 八幡山城

室町時代寛正年間1460~66)頃に、関東管領山内上杉の居城とするために家臣夏目実基によって築かれたとされる。実際は地形が狭い為に関東管領山内上杉は、上州平井城に移り、雉岡城には家臣夏目豊後守定基を城代として守らせた。

永禄年間(1558~70)には、北条氏邦によって攻められ鉢形城の属城となり、北条家臣・横地忠春が城代を務めたが、天正18年(1590)の豊臣秀吉による小田原征伐の際、前田利家ら北国勢によって攻められ落城する。その後、徳川家康が関東に入国すると松平家清が1万石の格式にて領主となるが、慶長6年(1601)三河国吉田城へ転封となるとその役割を終え廃城となった。

城は、ほぼ中学校・高等学校の敷地となってしまい取り壊されているが、公園となっている部分は(本廓の一部)とても良く遺構は残されている。公園内だけでなく、少し足を伸ばしてみると住宅街に土塁や馬出跡が残っているので、城攻めする際は公園外も注意深く見てみることをオススメします。

写真館





夜泣き石



塙保一記念館
新田義貞公像


MAP

訪問日 2013.03.20

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